【未来を信じる力】
1945年8月6日広島、そして9日長崎、人類史上はじめて原子爆弾が人間の頭上に投下された。日本は、世界ではじめてのヒバク国となった。
そして、2011年3月11日、この国は2度目のヒバク国となった。愚かにも、今度は自らの手によって。
8月9日は、長崎の原爆の日であるのと同時に、音楽家ドミトリー・ショスタコーヴィチの命日でもある。そして、ショスタコーヴィチの『交響曲第7番 レニングラード』が、レニングラードで初演された日でもある。その日、レニングラードは、ナチス軍に包囲されていた。いつ攻撃されても不思議ではないなか、この交響曲は演奏された。そして、レニングラード市民に生きる力を与えた。音楽の力がしめされた一日。
東日本大震災からひと月半たった4月23日、東京オペラシティでひとつのコンサートが開かれた。シルヴァン・カンブルラン指揮、読売日本交響楽団によるチェコ特集のプログラム。海外の指揮者やプレイヤーの多くが日本から避難しているなか、カンブルランは早くから予定通り公演を行なうことを表明していた。
この日のプログラムで、日本人へのメッセージとして、カンブルランはこう書いている。
「親愛なる聴衆へ
親愛なる日本の友人たちへ
あなたがたを襲った惨劇について詳述するには、“言葉”はあまりに無力だ。苦しみの度合いを表現するにも、“言葉”はあまりに無力だ。あなたがたに対する私の気持ちを言い表すにも“言葉”はあまりに無力だ。危機に直面したあなたがたの、勇気に満ちた高潔な行動を、私がいかに尊敬の念をもって注視しているかを説明するにも、“言葉”はあまりに無力だ……
まさにこのような状況においてこそ、芸術、特に音楽が、私たちを固く団結させる力を発揮します−そこに“言葉”は必要ないのです−。音楽は、未来を前向きに信じるエネルギーを、私たちに与えてくれます。“愛情”や“ヒューマニズム” “団結心”などを表現するのに、音楽はとても優れています。音楽は私たちの心をひとつにし、試練を乗り越える大きな力となるのです!
“幸せ”や“喜び”などといった感情は、このような時にも存在していなければいけませんし、これからも存在し続けていかなければなりません!
私たちの最大級の尊敬、感動、友情を、あなたがたへ贈ります。
2011年3月19日
あなたがたの、シルヴァン・カンブルラン」
この日演奏されたレオシュ・ヤナーチェクの『タラス・ブーリバ』、『シンフォニエッタ』は素晴らしかった。カンブルランの言う通り、「未来を信じるエネルギー」を与えてもらった。
そして、このとき、ヤナーチェクの曲でダンス作品をつくることを決めた。未来を信じるために。同時に、8月9日の長崎の日に上演することも。
昨年の8月9日は、ショスタコーヴィチの命日として、小澤恵美子 solo-DANCE workで、彼の遺作である『VIOLA SONATA』を上演した。今年も、同じ日に再演するつもりでいた。
しかし、今回は、子どもたちの未来を奪う原発事故もふくめた、継続するこの未曾有の大惨事のなか、未来への希望を強く祈るための作品でなければ、上演はできない。そして、選ばれたのがレオシュ・ヤナーチェクの『グラゴル・ミサ』 長崎の原爆投下の日として。
震災から4ヶ月がたとうとしていたとき、その稽古ははじまった。最初の稽古が終わったとき、
「被災地へ行かなければ」
ふと、そう思った。
「いま、行かなければ」
何かに突き上げられるように、そう思った。
そして、その3日後、私は見渡す限りの廃墟に立っていた。
息をのむ。
言葉もない。
スケールが違いすぎる。目の前に見ている光景と、自分が把握できるスケールが折り合いをつけられない。歩いてみる。身体もまた、この場所と折り合いがつけられない。私のなかで失われた「自然」とは、こういうことなのか。
カメラのシャッターをきってみる。だが、フレーミングされた写真は、何も写すことができない。遠景で撮ろうが、パノラマで撮ろうが、落ちている日常の破片を撮ろうが、何も写らない。この広大な廃墟の何も写すことはできない。ビデオもまた同様。突如広がったこの廃墟を、写すことは不可能だった。
報道からは伝わらないのは、この風景のスケールの他にもうひとつ、死者の気配。行方不明者と合わせて3万人近い人たち、その数でもけたちがいなスケールのその人たちの気配。
瓦礫のいたるところに、赤い小さな旗が立っている。その旗には、日付が書いてある。そこが遺体発見場所。胸が苦しくなるほどの死者たちの気配。やはり、言葉にならない。どんなイメージも像を結ばない。
はたして、私はこの廃墟に何を見ただろうか。
何も見ていない。
私には、何も見えていない。
横に広がる想像を絶するその距離ではなく、見えない縦に深くもぐりこんだその距離を感じない限り、何も見えない。
それは、3万人近い死者、行方不明者ひとりひとりとの距離であり、大事な人を失ってしまった数えきれない人たちひとりひとりとの距離であり、それらひとりひとりが抱えたそれぞれの悲しみとの距離。
はたして、今回の『グラゴル・ミサ』で、その距離のなかに入ってゆくことができるだろうか。
あの瓦礫だけになってしまった場所であれ、全滅の田園風景であれ、壊滅状態の漁港であれ、半壊状態の家が並ぶ場所であれ、そこに立って痛烈に感じたことが、ひとつだけある。
あの広大な廃墟に立って、自分の無力感と人間の弱さ、愚かさを感じたのと同時に、人間の生存が危機にさらされたからこそ生まれる、生命の力。
それは、「再生」や「復興」ではなく、その方向に可能性の道があるとすれば「新生」であると。そのためには、圧倒的な希望が必要であると。それを信じる力が必要であると。
私たちはいま試されている。人間が試されている。大きな悲劇のなか、試されている。人間が人間であることが試されている。はたして、私たちは「新生」できるだろうか。
子どもたちの未来を、愚かにも繰り返された悲劇のなかで殺してはならない。
広島を経験した小説家、原民喜はこんな文章を残している。
「まさに私にとって、この地上に生きてゆくことは、各瞬間が底知れぬ戦慄に満ち満ちてゐるやうだ。それから、日毎人間の心のなかで行はれる惨劇、人間の一人一人に課せられてゐるぎりぎりの苦悩―さういったものが、今は烈しく私のなかで疼く。それらによく耐へ、それらを描いてゆくことが私にできるであらうか」
残念ながら、原民喜は耐えられなかった。その後、彼は自殺を遂げる。
そのこともよく記憶しながら、私たちは耐えなければならない。一方では、悲劇を繰り返さないために、一生をついやして「原爆の図」を描きつづけた丸木位里、俊夫妻もいる。彼らのこと、彼らが描いた渾身の「原爆の図」もよく記憶して、耐えなければならない。
今回の上演が、私も含めたひとりひとりにとって、未来を信じる力となることをただ一心に祈っている。
小沢恵美子 solo-DANCE WORK
レオシュ・ヤナーチェク『グラゴル・ミサ』
2011年8月9日 長崎原爆記念日
公演パンフレットより

